淡路島、南あわじ市に、室町時代の淡路守護職、「細川成春氏」の館跡があります。
「養宜館跡」として、面影が少し残ってます。
土で築いた土塀が草におおわれてあります。
淡路ファームパーク・イングランドの丘の近く、平成病院の裏にあります。
今は、公民館があり、地元の人でもほとんど知られていない、貴重な「県指定文化財」と表示してありました。
そして、当家の遠い親戚の「武田萬太夫」の石碑があります。
石碑を寄贈したのが、淡路島出身の東京市長で、関東大震災で焼け野原になった東京を、復興した「永田秀次郎」さんです。
有名な、「後藤新平」氏の後継者で、東京市長を引き継いで、その4か月後、9/1「関東大震災」に遭遇し、復興に取り組んだ。
その功績をたたえ、国会議事堂のある「永田町」と地名がついたらしい。
また、昭和11年、拓務大臣となった。
昭和14年に、鉄道大臣にもなった。
大正天皇御即位の御大典のとき、京都の警察部長の大任を無事果たし、「三重県知事」、「内務省警補保局長」、「貴族院議員」、「東京市長」、「拓殖大学学長」、「帝国教育会会長」、「拓務大臣」、「鉄道大臣」。
「永田町」と言えば、「淡路島の永田秀次郎さん」を思い出して下さい。
養宜館跡1.BMP 養宜館跡2.BMP
養宜館跡3.BMP 武田萬太夫石碑1.BMP
石碑裏.BMP